「Song Writer」
2018年 01月 23日
書架の向こうから 【第125話】
月まで届くはしごを登る
足を踏み外さない様に
あん時や悪い事をしたな
どうか君 友達でいてくれよ
季節を感じ何を思う
思い出話なら聞き飽きた
年をとったらどうなってゆくの
今感じる事も感じなくなくなるの
(三宅伸治「Forever Young」)
コードを押さえる左手の指が硬くなってなかなか開かないことに、自らの身体に積もった「老い」を知る。右手のアルペジオは時々リズムが外れ、ストロークは左手とうまくシンクロしてくれない。でも。それならばスローバラードから練習して指が暖まるのを待てばいい。たまに握るギターは今もボクをあの頃へ連れてってくれる。あの頃……初めてギターを持ったのは13歳、中学1年。まだろくに弾けないうちからスリー・コード中心の曲を作り、詞を書き、録音したのを友だちに聞いてもらってた。カセットテープで。
三宅伸治。56歳。18歳で宮崎から上京し、一年後、亡き忌野清志郎の運転手兼付き人となりレコーディングやコンサートのスタッフとして活動を始め、やがて自らもバンドを結成。その後ソロ活動に。晩年の清志郎のステージにリード・ギタリストとして寄り添うように立っていた彼は、今も忌野のことを「ボス」と呼ぶ。
デビューから30年になるのを記念し去年『TRIBUTE ALBUM ソングライター』が世に出た。彼をリスペクトする30組のミュージシャンが集い、それぞれのスタイルでトリビュートしている。なによりも彼が今もなお現役のミュージシャンであり、新しい歌を書き続けるソングライターであることがボクにはうれしい。
遅すぎた人々達の
僕もその中の一人だろう
本当の事はどうなってゆくの
君のお陰で僕はなんとかやってきた
「フォークソング世代」とくくられる人々がいる。その真っただ中にボクもいた。でもそう括られることには微かな違和感がある。生まれて初めて買ったLPが高田渡と小室等だったと言えばわかる人にはわかっていただけようか。そして中3の時に友部正人に出逢う。
いい歌がヒットしテレビの歌番組で流れるのは仲間が認められたようで嬉しかった。けれど彼らはやがて否応なくコマーシャリズムの渦に搦めとられ身動き取れなくなる。そうやってフォークの時代は終焉を迎え、ニューミュージックへと移っていく。ユーミンのデビューが高2の頃か。
たまにテレビで「青春のフォークなんとか」に出てくる彼らを見るのがなんだかいたたまれない。懐かしいことはなつかしい。でも、それだけ。何度も出される「ベストアルバム」にも同じ気持ちになる。どんなに不細工であってもいい、這いずり回りのたうつような今でもいい。あなたがたの新曲が聴きたい。ライブが見たい。「フォーク」が音楽のジャンルではなく「生き方」に名付けられた名前であることを教えてほしい。
京都・拾得はこの2月、45周年記念ライブ月間を迎える。若いミュージシャンたちに互して「月まで届くはしご」をしぶとく登り続ける人たちの「今」を見届けたい。
だから僕はやるよ まだまだやれるよ
無理だと思う事もやってみよう
知ったかぶりの老いぼれにはなるまい
Oh Forever Young